友人が活動してるボランティア団体の依頼で救援物資の輸送を手伝ってほしいとのお願いがあり、3月26日AM6時に川口を出発し、鹿沼の倉庫にAM8時に入り救援物資を積込ました。10tw車は、名取市、相馬市に救援物資を運び、私の運転する2tロング車は、石巻入りする予定です。
①道路状況東北道路は、ほぼ開通しておりして、仙台南IC→仙台南部有料道路→三陸自動車道を走破致しました。仙台南部有料道路では、一部20cm~30cmくらい段差がある場所もありますが、スロープなど簡易補修したところを徐行する程度で通過できます。【減速注意!】石巻までは、すべて高速を利用できます。(仙台から1時間超くらい)燃料補給については、郡山あたりからPAの外まで並んでいますので、予備タンクなど持参して行くことをお勧め致します。 ちなみに、私が運転した2T車は100Lのタンクでしたので、別途18Lのポリタンクを3つ用意し、仙台手前の菅生PAで一緒に行った大型トラックから、60L補給致しました。
②被災状況 【仙台】 14時頃通過仙台市の中でも被害が大きかった、若林区は仙台南部有料道路を境に、家などが流されているのが、有料道路から確認致しました。広い範囲で津波が来たことが一目でわかります。本当に心が痛みます。
③被災状況 【石巻】 15時半頃 到着 石巻河南インターをおりて、一番被害を受けた北部に入りましたが、道路状況はかなり復旧しており、活気も感じました。私が行った場所は、石巻警察署の裏の高台あたりにある自動車教習所が避難所になっており、食料を中心に供給いたしました。木曜日まで、140人の被災者がいたようですが、自宅に戻り復旧作業に入ったことから、被災者は10数人程度に減ったようです。また、資材なども手に入りやすくなっているようです。さらに、石巻の被災者の人から「気仙沼のほうはまだ、物資が足らないから持って行ってくれ」と言われたことから、急遽、気仙沼市へ移動することとなりました。
④道路状況 【南三陸町】【気仙沼】石巻河南インターから上がって、終点の「登米東和IC」を降りて、南三陸町を向かいました。通行許可が必要のようですが、ステッカーがあるのでフリーパスです。25t車以上は、特別許可が必要のようです。南三陸町に近付くと、テレビで流れる、様々な残骸が道路の両脇に広がっておりました。道路は、自衛隊が綺麗に片付けしたようで、道路状況は非常によかったと感じました。高速はほとんど使用できましたし、道路上に残骸などはほとんど落ちておりません。東北道を結ぶ一関~気仙沼ルートについても、まったく問題ないです。
⑤被災状況 【南三陸町】17時~18時頃一般の車はほとんどなく、救援物資を運んだ車両か、自衛隊の車両ばかりでした。ところどころ、残骸から探し物をしている方々がいて涙をぬぐいながら・・・という状況でした。言葉にならない情景を目に致しました。南三陸町から海沿いの東浜街道を北上したのですが、通過する入江のある集落はすべて流されて建物がほとんど残っておりません。気仙沼線の鉄橋が続いておりますが、途中途中寸断されてまして、添付の写真でもお解りかと思いますが、寸断された鉄橋の上に家が流れ着いたという光景も目にしました。25Mの津波の破壊力すさまじいものです。
⑥被災状況 【気仙沼】19時半~21時気仙沼に到着し、防災センター近くの360人が収容されている気仙沼私立松沼公民館に到着しました。街の中は、電気が通っているところと、電気が通ってないところがはっきり分かれており、津波の被害もさることながら、火災の影響も相当うけているそうです。震災の日は、一晩中「ドカーン」と、爆発音が鳴り響いていたと、被災者の方が語ってくれました。また逃げる際に、渋滞がひどく、かなりの方が車と一緒に流されていた情景を目の前に目撃したとも伺いました。この公民館は、電気はきているのですが、水がまだ来てないので、早い復旧を望んでいるとのことでした。また、伺った時に会議をされており、会議を拝見しましたが、女性の方々が率先して、炊き出しの打ち合せや公民館の運営について、真剣に話されておりました。女性の方々の現場での活躍はテレビには伝えられませんが、現場が混乱することなく、自治がされているのは、女性に支えられているのだと、深く理解いたしました。
⑦帰庫pm9時頃に荷物も下ろし終わり、一関ICを目指し、東北自動車道ルートで帰庫をめざしました。夜中の3時頃に那須塩原PAを通過致しましたが、こんな時間でもスタンドが並んでいたのが印象的でした。営業所に着いたのは、翌AM5時。ほぼ1日中運転をした計算で、トラックを降りると疲れと悲しみが同時に押し寄せてきました。じつは、3/26日は42歳の誕生日でして、誕生日が来る度にこのことを思い出すだろうと思います。
⑧感じたこと私が感じたことですが、私たち運送会社ができることは、やはりトラックを持っているので、”輸送”という形でお手伝いすることだと思います。 また、100%経費持ちのボランティアでは続けることはできないとも自覚致しましたので、仕組みを作る必要があると思います。“なにが足りていて、的確な場所なにが必要か?どんな団体に対して、どういう気持ちでお手伝いをするのか?“とか、考えるところが多かったです。最後に、届けた先の被災者の方がトラックのナンバーを見て、「埼玉からわざわざありがとうございます」と感謝の言葉を頂きました。少しは、役に立てたでしょうか・・。うれしい言葉です。手塚嘉明